色々なパターンがある故人を尊重する葬儀

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色々なパターンがある故人を尊重する葬儀
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葬儀とか弔電とかの話

十年前の4月22日、僕の友人が死にました。
死因はいじめによる自殺でした。
僕と彼は物心ついたときから一緒にいたので、仲はとてもよかったと思っています。
いや、大事なときに相談すらされなかったのだから、それもどうやらあいまいです。

僕は葬式に出るのが嫌でした。
彼の死を認めてしまったようで怖かったのです。

葬儀の前日に、僕は死んだ友人への手紙を書くことになりました。
皆せっせと書いていました。
けれど僕は、何を書けば良いのか解りませんでした。
葬儀の時、僕は、具合が悪くなりました。
僕はそれを口実に学校を休みました。
友人への手紙は、まだ書けずにいました。
先生に言われました、「自分の気持ちに素直に書きなさい」と。他の人たちが言いました、「お前友達死んだのに悲しくないの」と。悲しくないはずが無いし、これは僕の正直で砂をな本当の気持ちでした。
葬儀を休んだとき、僕は数日置いて弔電と言うものをしました。
お母さんが、「葬式にいけないときに電話で『お悔やみ申し上げます』って言うんだよ」と言いました。
僕は弔電してみました。
彼の両親が出たときに、ぽたっという音がしました。
僕はそこで、自分が泣いていることに気付きました。
僕は泣きながら「ごめんなさい」と何度も何度も言いました。
それしか思い浮かびませんでした。

私は、会社の同僚と飲みにいったときに、ふとそのことをこぼしてしまいました。
同僚は、「そりゃ当たり前だ」と言いました。
私は少し、救われた気分になりました。
家に帰った後、いまだにかけていない彼への手紙を、私はそっと握り締めました。

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