色々なパターンがある故人を尊重する葬儀

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色々なパターンがある故人を尊重する葬儀
色々なパターンがある故人を尊重する葬儀

弔電で人となりが解る葬儀になるかも

あまりしたくも考えたくもないもの。葬儀。
でも、避けては通れませんね。本当の身内から、よく解らない親戚、はては会ったことの無い人まで。これまでいくつもの葬儀に出席してきました。
小さい時のことはあまり記憶になくって。退屈だなとか暑いな・寒いななんてことしか覚えていない。今みたいにセレモニーホールでなかったし、なにせ大人が大変そうだった。じっとして黙っていないといけない。暇だけど、神妙にうつむいて。少しでも早く時間が過ぎてほしいと思ってた。本当に親しい間柄の人の葬儀でなかったから、そんな感じでしたね。かわいがってくれた身内が亡くなったのは大人になってから。その時は退屈とか思うどころじゃありませんでした。
それまでの思い出が次々と浮かんできて。本当に悲しくて泣く涙は、ドバドバあふれてすごく困りました。
弔電も、故人を想わせるものが多くって。周りはそんなに動揺していないのに、なんとかして涙を抑えないと…と焦ったのを思い出しました。

私自身は弔電を打ったことはありません。結婚式の電報しかないですね。それでもいろいろ文を考えました。
おめでたい席でもこんななのに、葬儀の時のなんて悩んで悩んで困りそう。結局定型文みたいなのになってしまうのかな。
でも、弔電を受ける側だったときは、きちんとしたお決まりの文章よりも、その人らしさが出たものの方が嬉しく思いました。
いろいろ悩んで考えてくれたんだろうな。とか、こんなに思ってくれる人がいるなんて幸せだったねと故人の気持ちを考えたりだとか。葬儀って、その人との最後のお別れなんですよね。故人は亡くなってしまっていて、解らないのかもしれないけれど。こうして、悲しんでいるよ。懐かしいと思っているよ。そんな思いが少しでも伝わればなと思います。
よく知らない人だけれど、義理で葬儀に出席しないといけない人って大変だけれど、きちんと心のこもった弔電を聞いて故人を偲んでほしいなと思います。

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